重蔵窯 手洗い鉢 利休信楽|MEBIUS(メビウス)

信楽焼は、古来からすり鉢や甕(かめ)、壺などの日用雑貨として用いられてきた、人々の生活に馴染みの深い焼き物です。
時代が下るにつれて、しだいに装飾性や美術品としての側面も付加されていきました。
それでもなお、暖かみと親しみやすさは失わず、私たちの生活にすんなりと馴染む、絶妙な風合いを兼ね備えています。

利休信楽と言われるものがある。
室町時代になると、茶がおこりわび茶(書院における豪華な茶の湯に対し、四畳半以下の茶室を用いた簡素な茶の湯を指す。又は千利休の茶道全体を指す。)の求める日本本来の美、『わび、さび』と焼締めの陶が持つ素朴さが一つになり、村田珠光(むらたじゅこう)1422室町時代中期の茶人「わび茶」の創始者と目されている人物が信楽の焼物をお茶の道具として取り入れている。
千利休1522-1591が武野紹鴎(たけのじょうおう)、や珠光1502が茶の湯の世界に取り上げたと同じように、信楽の焼き物の持つ風流な味わいと利休の茶の湯の精神とが合致したからである。そして、利休の好みを信楽の陶工に指図して茶道具を造らせた。これが利休信楽である。
日用雑器の中に新たな美を見つけ茶の湯に取り込もうとする彼の態度は、後に柳宗悦(やなぎむねよし)、明治22年によって始められた「民芸」の思想に生きる。こうして信楽焼も、16世紀の中頃から、すり鉢、甕(カメ)、壷以外に、茶の湯の道具をも焼くようになっていく。それは、信楽焼きの持つ素朴さ、わびとさびの美を備えた信楽焼きが、茶の湯の精神と合致し、それまでの日用雑器としての信楽と共に美術品としての信楽焼の面をもって行くことになる。

信楽焼伝統工芸品メビウス MEBIUS Design Bowl
400万年前の古琵琶湖層から採掘された粘土で出来ている。「メビウス」は通気性があるため、中の水は表面から少しずつ蒸発する。この水が蒸発するときの気化熱により中の水が冷やされ、暑い日中には冷たく感じる。
信楽は、付近の丘陵から良質の陶土がでる土地柄である。1250年の歴史と文化に支えられ、伝統的な技術によって今日に伝えられて、日本六古窯のひとつに数えられている。信楽特有の土味を発揮して、登窯、穴窯の焼成によって得られる温かみのある火色(ひいろ、やや黄色みのある鮮やかな赤)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられ、土と炎が織りなす芸術として“わびさび”の趣を今に伝えている。
信楽の土は、耐火性に富み、可塑性(かそせい、変形がそのままになる性質)とともに腰が強いといわれ、「大物づくり」に適し、かつ「小物づくり」においても細工しやすい粘性であり、多種多様に富んだ信楽焼が開発されている。
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